“醒”(後編)

“木”と言ってもいったい何から取りかかったらよいか?
まずはホームセンターで物色し、東南アジアなどでデッキに使われる木材を購入する。
丸く長い棒なので、それで箸を作る事になった。
ある程度の長さに切り、それをひたすらヤスリで削るという地味な作業だが、この木材はかなり硬くなかなか削れない。
簡単で単調な作業だが、最終的に“箸”になるというイメージをもって彼は行なえるか?
毎朝、彼が来ると「箸作り」の一式を机に出し、一通りの説明をする。
そして彼と職員は削りだす。日々これの繰り返し。
数日後、彼にその道具を渡すのが遅れてしまうと「アレ、どぉこにあるのかなぁ?」と職員に聞きに来た。
興味を持って行い始められたのか?はたまた毎日行なっている作業として染み付いたのか?
どちらなのかは分からないが、今まで何もやらなかった彼に、小さな事ではあるが確実に何かが変化した瞬間ではあった。
片付けも一緒に行なっていると、次第に聞きに来る事がなくなり、自分で一式を取りに行き、1人で黙々と職人のように削っている。
もう彼に“箸”の説明をする事はなくなっていた。
実に地道な作業だが、立派な箸が完成した。売り物としても十分すぎるくらいの物。
次に、よくあるアイスの棒が束になった物があり、それを彼に渡し「くっ付けたり、切ったり、削ったりして何か好きな物でも作りましょう」
それだけを言い、しばらく経つと彼はおもむろに何かを作り始めた。
毎日、毎日デイケアに来ると一式を持ってきての製作。
彼は数多くの物を作ってくれた。
特に秀逸だったのは飛行機。
小さく切ったり、角を丸く削ったりと自由に発想し作品を生み出してくれた。
決められた事を行なうのではなく、自分の頭で描いたイメージだけで作る。
この頃から彼の眠っていた能力が徐々に目を覚まし始める。
加速し始めた時はギアを1速から3速、そして一気にトップまで!!
もたもたしている暇はない。
またまたホームセンターで物色し¥980のコンパネ(ベニア板のような物)を1枚購入してきた。
次なる製作は“棚”作り。
デイケアに来ている多くの女性は小さいバッグを持ってきている。
そのバッグ置きとして棚があれば重宝するのでは?
彼と職員は1枚の合板を棚に必要な寸法にノコギリで切り、釘などで固定していく。
けっこう大掛かりな作業は次第に利用者の注目を集め「俺にもやらせてくれよ!」「どれどれ、俺も手伝ってやるよ」と数人の男性利用者が集まってきた。
気が付くと男性だけで、どこにでも売っているコンパネを囲み「次は俺の番だ!」と皆で金槌を取り合う光景に。
楽しそうにトントンと金槌を打っている皆の姿に満足していたが、この物語の主役の彼は
普段の温和な表情ではない顔で皆を見ていた。
知らぬ間に“棚作り”の主役は他の男性達に変わってしまっていたのだ。
もちろんそれも良い事ではあるが、当初の予定とは違う方向に進んでいってしまっている。
他の男性利用者に「これの現場監督は彼だからね」と職員は他の男性利用者に伝えると「おう、そっか、そうだな」と納得し、そっと金槌を彼に渡すと、いつもの温和な表情の彼に戻っていた。
彼は男性職員の事をいつも「先生」と呼んでいた。理由はよく分からない。
男性職員が見当たらないと「先生は?」と女性職員に聞きに来ていた。
彼は認知症で人の名前が覚えられなかった。
いままでも様々な職員達が名前を教えるも覚えられた事は・・・。
それがいつの日か「○○さんは?」とその男性職員の名前を言っていたと言う。
彼はそれからも男性職員の事を先生と呼んでいたが、他の職員に尋ねる時は“先生”ではなく名前を言っていたと言う。
わざわざ教えていない名前を彼はどこかで聞き、覚えていたようだ。
彼はすでに覚醒していた。
悪戦苦闘しながら製作していた棚は、手や顔にペンキを付けながらシンプルなベージュに塗り終え、ついに完成した。
その頃にはすでに彼を見る目は大きく変わっており、とくに彼を見下していたような発言の女性利用者さん達も「あの人は器用だし、あんな凄い物が作れるんだね、凄いよあの人は!」
数ヶ月の間に彼は“バカで何も出来ない人”から“器用で何でも作れる凄い人”へと変わっていた。
“地位向上”と言う目的もあったが、彼と色々な事をやっていくうちに、そんな事はすっかり忘れてしまっていたし、もうどうでもよかった。
病気が発症してからの期間を考えれば、彼が覚醒した月日はほんの一瞬だったのかもしれない。
しかし彼はその一瞬の時間、治る事のない病気を紛れもなく眠らせ、本来の能力を呼び覚ましていた。
認知症の方が全員とは言わないが、どんな方でも可能性は秘めている。
認知症の方を介護しているご家族の方は本当に大変だと思うが、どこかに、何かきっかけがあるかもしれない。もしそれを見つけられれば、病気を何処かでちょっとの間でも眠らせる事が出来ると彼は私に教えてくれた。
デイケアはその後、2度の引越しをした。
引越しの度に古い物や、壊れている物は処分していくのは、みなさんの家でもそうだろう。
男性職員は移動となり、彼はもうデイケアには来ていない。
しかし、あの“棚”はと言うと、今でもデイケアの片隅で、地味にまるで彼がソファに腰をかけているかのような姿で、来る日も来る日も女性のバッグを抱えている。
その姿はまるで老いてゆく人間のようにペンキは剥げかけ、ちょっとぐらついたりもしている。
あの頃に作った、若々しい力強さは見る影もない。
抱えられるバッグも、そう多くはない。
あとは朽ち果てるまでその役割を毎日こなすだけだが、彼が作品に込めた意志は今でも生き続けている。
終わり
もし長々と読んでいただいた方がいましたら、お礼を言わせて下さい。
ありがとうございました。
通常ならこの棚はとっくに捨てられていた物ですが、開設当初から今でもデイケアにいるNさんが、この棚作りをしているところ見ていて、捨てられそうになった時も、こっそり引き上げてきてくれたのです。
彼が一緒に作った訳ではないのに、さりげなくこういう事が出来るNさんには、今でも感謝しています。