“標”

久喜すずのき病院のデイケア(通所リハビリテーション)では毎日、様々なプログラムが行われています。
午前中は主に個別活動として、マシーンを使って筋力トレーングを行ったり、創作活動を行っています。
この創作活動とは自分がやりたい好きな作業を行う事です。
その中でも代表的で一番人気があるのが「ロールピクチャー」と言う作業です。
簡単に説明すると、様々な色の付いた紙テープを適当な長さに切って、それを丸い棒などに巻きつけて、筒状にし、ベースとなる下絵に木工用ボンドを付けて立てていく作業です。
だいたいA4の紙の大きさですと千個近く必要で、とにかく下準備が一番大変で肝となる作業になります。
ここでの出来が完成後のクオリティに繋がってくると言っても過言ではないのですから、皆さんはこの下準備には余念がありません。
現在は要介護2の男性で76歳。
20年近く前に脳梗塞の後遺症で右半身麻痺となり、うつ病も発症した。
今いる職員でも知らない方も多いのですが、久喜すずのき病院のデイケアオープン当初から通所している唯一の利用者なのです。
約20年経つのでこの方が通所を初めた頃は50代後半という事になります。
利き腕の右半身が麻痺となってしまったあとも、元来持っている負けず嫌いの性格と、当時は歳もまだ若かった事もあり、相当なリハビリを行って麻痺をしていない左手で全ての事が出来るようになっていたのは、私が出会った頃と今でもそんなに変わりありません。
この方はとにかく何をやっても上手いし強い。
将棋をやれば彼を負かすのは至難の技で、オセロにしても碁にしてもほぼ同様である。
少々腹が立つのは楽勝だろうが接戦だろうがいつもスマートでポーカーフェイス。
しかも終ったあとに「あそこで、こうやっていれば勝てたんだよ。もったいないな~!」とか 、将棋が下手な職員にも優しく言ってくれる。
「え、本当?もうちょっとで勝てた??ウソ~、上手くなってます~?」(はっきり言って上手くなってない)
対戦相手(利用者・職員)を嫌な気持ちにさせないところまでの配慮もある。
なんなんだこりゃ!!
私が持ち合わせていない装備をことごとく持っている。
もうただの、ひがみとねたみです。
そんな彼がデイケア初期の頃から定期的に行っていて、他の利用者にも人気がある作業が「ロールピクチャー」
特に女性に好まれているのですが、初めは皆さんえんぴつ程度の棒に紙テープを巻きつけたりしてロールを作っていました。
巻きつける棒の太さによってロールの個数は変わってくるし、下絵にボンドで貼り付けた後の出来にも左右される。
しかし、彼はその出来栄えにひどく納得しないようで、当時は皆さんの“スタンダード”だった、えんぴつぐらいの大きさから、更に細い棒に巻きつけるようになった。
その大きさは編み物用の細い棒だったり、時には爪楊枝だったりと、大きさを変えて数種類のロールを作り始めた。
当然の事だが巻きつける棒が細くなれば、その作業は大変困難になり個数も何倍にも増え、そして時間も要してしまう。
彼は利き腕ではない左手で机の面などをうまく利用しながら、器用に高さもキッチリしたロールを作っていく。
こうして完成した「ロールピクチャー」はえんぴつ大の物とは違う、まさに“アート”の領域に達していると言っても大げさではない。
他の利用者もそれを見て、細い棒でやり始めたが、やはり時間が係るのと何倍も労力を要する為になかなか他の利用者に定着する事はなかった。
しかし、ロールピクチャーをやっている女性達はその出来栄えに憧れを抱き、数年すると何人かの方は細い棒でロールを巻くようになったいた。
それまでは彼の専売特許であった事が、徐々にデイケアの中で浸透し始めていた瞬間でもあった。
あれから十数年が経過し、今、ロールピクチャーをやっている女性のほとんどは細い棒で巻き、更に種類の違う棒を準備してやるまでに。
入り組んだ場所には細いロールを使ったり、顔の部分にはより立体感が出るように2~3種類の太さのロールを使用したりしている方も多数いる。
「風景」や「花」、人気の「ゆるキャラ」など多種多様の絵を利用者からの依頼を受け職員が日々描いている点も一役かっている。
当時は彼しか出来ない、いわば「スペシャル(特別)」な事であったが、デイケアの長い歴史の中で、いつしかそれは皆さんにとっての「スタンダード(標準)」に昇華していった。
デイケアを利用してくれている一人の利用者が、長い歳月の中で一つの標(しるべ)を作り、デイケアの活動の質を向上してくれた事実を私は忘れない。
入職してデイケア・ケアマネを含め、彼とは18年もの時間を共に過ごさせてもらっている事になります。
以前は3人で競馬の話しを毎週していたが、今は2人になっちゃいましたね・・・。