89歳、介護保険の認定結果は要介護3の方の話になります。
彼女は広島で長男を育てている頃に原爆体験をし、その後、北海道に移り子供を6人育てる。60代後半頃に感染症で右膝は壊死し、彼女の膝が曲がる事はもう一生なくなった。
数年前に脳梗塞で入院し、麻痺が残り手は少し振るえている。1日の大半をベッド上で過ごさなければならなくなった。
蝉の一生が始まりだす頃、下痢と嘔吐と便秘を繰り返し原因が分からないまま入院する事になる。
状態もあまり良くならず、入院から1カ月程した頃。
突然、先生から「ちょっと危ない状態なので、親戚の方など呼ぶのであれば呼んで下さい」
今までも何度か危険な事はあったが、その都度、回復し元気になっていた。
しかし今回は‘さすがにもうダメなのかもしれない’と家族は直感的にそうと思ってしまう。
面会に行くと顔はやせ細り、精気も失われていた。
これからどうなっていくのか?
彼女の子供達や孫が何人も病院に駆けつけ、「会うのは最後かもしれない」そう思いながらも、彼女に「早く元気にならなきゃね」と同じような言葉を繰り返していく。
無理だと思っているのに人は励ましの言葉しか出せない。
しかし、その言葉が届いたのか、彼女の体力は回復し退院の話しがでるまでに。
だが先生から「退院して、家に帰っても1人でトイレ(ポータブル)をする事はもう出来ないでしょう」と言われてしまう。
“ポータブルで出来ない”
すなわちそれはオムツをしなくてはならないと言う事になる。なぜなら車イスで自宅のトイレに行く事はできないから。
入院中は昼・夜間問わずオムツを使用していた。しかし彼女はオムツの中にするのがどうにも嫌で、看護師を呼んでは「オムツしてるんだからしちゃっていいのよ」と何度も怒られていた。
その後、状態も良くなり退院が近くなると、リハビリの先生とベッドからの立ち上がりの練習を行うが、1人でポータブルに出来るまでには全くない状態であった。
彼女は造花が趣味で、歌を唄う事も好き。昔から詩吟もずっとやっていた。
だが、脳梗塞を発症してからは大好きだった趣味が徐々に行えなくなり、やがてそれらをする“気持ち”は無くなっていた。
自宅に帰ってからは娘が介助しながらポータブルでするが、仕事の時や夜はオムツを使う。
やがてデイケアも休みがちになり、ベッドで寝る日々が続く。
1人でトイレが出来ない事に彼女の“気力”は失われていたと思ったが・・。
彼女の“気”はまだ消えていなかった。
色々な事が出来なくなっても、トイレだけは1人でしたい!
その“気力”と言う炎が少しずつ大きくなり、やがて1人でトイレが出来るようになった。
もちろん1人でできるようになるまでは、家族、デイケアの職員、リハビリの先生と色々な方の力があってこそだとは思う。
ただ何もするにしても、本人の“気”がないと成り立つ事ではなかった。
いくら周りの協力があっても、それがなければ可能性は低くなってしまう。
人には必ずその“気”がどこかにあるはず。それは何なのか?どこなのか?そのポイントを見つける事が支援していく近道だったりもすると改めて思う。
私の祖母は短い髪が好きだ。髪の毛を短く切ると必ず会いに行く。
「あら、髪の毛切ったんだね。そのほうがイイオトコだよ」
それを聞きたい為に切ったら会いに行く。