“嗜”

「差せ、差せ」「そのまま、そのまま」
いったい何のコトバか?!
これは競馬のゴール前のシーンでよく使われるコトバです。
81歳の男性で競馬歴は60年以上。贔屓の騎手(川田将雅騎手)が大きいレースに出ている時はかなりの確率で購入している。(大体は人気薄)
競馬は立派な公営ギャンブルですが、やはりこの国で競馬と言うと“お金を掛ける”という行為がある為に印象はあまり良くはないのが事実でしょう。
競馬先進国のヨーロッパやアメリカでは“ダービー”当日、正装していないと入場できない事があるぐらい歴史のある紳士淑女のスポーツなのです。
競馬は馬券を買う事が全てではなく、走る姿を見るだけでも楽しめるんです。
「やられちゃったよー」「取ったぞー」彼と話す時の第一声は決まってこの2種類の言葉からゲートが開きます。
馬券が当った時も外れた時も彼は実に嬉しそうに楽しく話しをしてくれます。
周りの方たちも馬券を購入した事はあっても、それほど好きではなく、具体的な話しをするにはちょっと物足りない様子。
私も中2の頃に競馬に出会い(未成年なので購入はしていません)20年以上競馬を“趣味”としてきたので、彼との競馬トークは非常に楽しい時間でもあります。
「俺は○○○を府中で観たんだぞ」「中山で○○○が走ってたんだから」歴史的名馬を生で観た事を話す時、そして馬券が当った時、彼は顎をちょっと上げ、誇らしげに話してくれる。
生で名馬を観た時の話などを聞くのは非常に興味があり、この時の2人は折り合いがついた状態でのレース中のようである。
歳を重ね、様々な病気に見舞われる事が人間誰しもやってくる。そのような時に趣味が非常に効果的で、生きる活力になる事は広く知られている。
「趣味を持ったほうがいいよ」「何か趣味がないとボケちゃうよ」などよく聞かれる事ではあるが、そもそも趣味なんて人に言われて持てるものでもないと思う。
自分が好きでやっていた事や、楽しくて続けている事が知らない間に趣味となっているような気がする。
「うちのお父さんは仕事ばかりで趣味がないのよ」そういう声もまた、何度も聞く事がある。長い間一緒に連れ添った方がおっしゃるのだから、きっと無いのだろう。
しかし趣味とはいかなくとも、好きで何かをやっていた事がきっとあると思う。
そういう何かを一緒に探し、見つける事ができれば、1日でも長く在宅生活が送れる1つの要素にもなるのではないかと思っている。(実際は簡単な事ではないのですが・・)
彼にとって競馬とは“趣味”ではなく生活の一部となっているようだし、なくてはならないようなもの。
これまでのキャリアと、結果に関係なく楽しめると言う事はもう趣味から“嗜む”というまた違うステージにいる彼は非常にカッコイイ存在でもあります。
ただ、彼がこうして競馬を続けていけるのは、一緒に住んでいる家族の理解と協力がなければできない事でもあるし、そういう家族の存在なくしては趣味を続けていけないのではないでしょうか。
彼はこれからも競馬を続けていくだろう。
彼のように嗜む領域にいけるよう、そういう男になれるように、向こう正面ピッタリ折り合って行きたいと思います。